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| 1巻 平安時代後期 |
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紺紙に銀罫を引き、金泥と銀泥で交互に『千手陀羅尼経』を書写する。表紙見返しには金銀泥で釈迦樹下説法図を描き、周囲にこれを聴聞する四菩薩、六僧形、二供養者を配す。見返し絵の描法や書風からして平安末期に遡るものと思われる。 |
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| 室町時代 |
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綸旨は天皇の勅命を蔵人の名において下される文書。文安元年に後花園天皇の祈願所となり、天下安全・宝祚延長の祈願をすべしという天皇の意向を伝えたもので、中世を通じて宮中の祈願寺的役割を果たすようになった。 |
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| 鎌倉時代 |
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『和漢朗詠集』巻上「暮春」の一部。料紙の天地に藍を雲型に漉いて表すいわゆる雲紙に、天地各一条の墨界を引いて書き付ける。本作品の筆者は鎌倉時代初期の歌人寂連と伝承される。平安末期に流行した法性寺流の面影を宿す鎌倉時代の書写と考えられる。 |
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| 桃山時代 |
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文禄検地終了後の文禄三年(一五九四)十二月三日付の秀吉朱印状。本朱印状で、一志郡七栗郷中村(久居市中村)の内九十石と、安芸郡久保田(窪田)の六大院領十石併せて百石が大宝院の寺領として宛行われ、以後の大宝院の基礎が成立した。 |
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| 桃山時代 |
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わが国茶の湯の大成者として『茶聖』と尊ばれる千利休の自筆書状。本状は天正十三年以前のもので、茶会の準備をしている最中のものかと推測される。 |
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| 江戸時代 |
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高虎は羽柴秀長、豊臣秀吉に仕え、秀吉の死後は徳川家康に接近して、その厚信任を獲得した。関ヶ原の戦いの後は伊予今冶を領有、慶長十三年(一六〇八)に伊賀・伊勢二十二万余国に転封され、津藩の祖となった。 |
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